親方の部屋

思いつきを色々書きます

薔薇と桃

category:エチュード

rps20120920_134018_547.jpg
秋晴れのある日、私は招待をうけたイベントに少しだけ顔を出すつもりでそのホテルに向かっていた。
タクシーを降りるなり重厚な制服のドアマンが近づいてきて丁寧に挨拶をした。私がその日の用向きを伝えたので階数と開会時間、ホテル内の道順をおしえてくれた。
招待元が欧州資本の会社であったから私は新調したばかりのフェラガモの靴を履きブルガリのネクタイをしめて心ばかりの敬意をしめしたつもりであった。

会場はそのホテル最大のパーティースペースである『アマルフィの間』であり、私が入った直後にイベントは始まった。
このイベントは欧州の菓子ブランドの某社が日本の高級飲食店に対しての新作を売り込むための新作発表会であると直ぐに分かった。
ステージでは日本支社の支社長による挨拶が終わり、その日の新作プレゼンテーションとゲームの説明にはいっていた。新作とは、日本人の好みに合わせた50種類のアイスクリームを、自然界由来の安全な材料ばかりで作り、最高級のチョコレートで繰るんで一口大のタブレット型にしたものであるらしい。それを直営店と、契約飲食店のみで販売するという戦略であるらしかった。
簡単な立食形式の歓談の時間がもたれた。名刺を交換するビジネスマン、料理に夢中な婦人達の間をぬってのろのろと歩きながら見渡せばざっと千人は軽く越えて集まってきた人の多さにおどろいた。既に嫌気のさしはじめていた私は中央から隅っこに向かって歩き出していて、もうそのまま帰ってしまおうかなどと考えていた。
その時アナウンスが流れて、しばしの間ゲームが行われた。

薔薇と桃

category:エチュード

rps20120920_143557_408.jpg
会場の照明の殆どが消され、各テーブルを真上から照らすスポットライトのみになり、数本のカクテルライトが会場内を落ち着かない雰囲気に照らした。
テーブルの真ん中からドライアイスの煙と共に、大きなクリスタルの皿に山盛りに積み上げられた新作チョコレートが競り上がってきた。盛り上げる音楽とライトの演出で驚きが最高潮に達した瞬間、大きな拍手がおきた。司会者の説明によれば、会場のテーブル全てのチョコレートを合計すれば二万個の用意をしてあるのだそうだ。50種類の味と香りが用意してあるらしい。
さらに、いつの間にかテーブル上には発泡スチロール製の可愛いデザインの蓋付き容器が置かれている。詰めれるだけ詰めて持ち帰って構わないと司会者は言っている。そして、全部のチョコレートの中に10個だけ"薔薇の香りがする赤いチョコレートコーティングの最新作"が紛れ込ませてあるのだと言っている。会場からはどよめきと悲鳴に似た歓声が上がった。

私は興味はわかず、入り口の壁に凭れてシャンパンを飲みながらぼんやりしていた。
そこへ3〜40人の学生服姿の男女がぞろぞろと下手から移動して来るのが目に入った。引率者の指導的な小声の言葉と胸につけたプレートから、食品製造や調理学科のある高校の生徒であるらしかった。
生徒達はみな手に手に容器を持って、笑顔満面で会場へと散って行った。
どの生徒もあちこちのチョコレートの山に張り付き、容器いっぱいに詰め込み、摘まんでは口に運んでいた。しかしよく観察してみれば、彼等彼女等はみな一様に薔薇の香りがする赤いチョコレートを、つまりは最新作の逸品を探しているのだということに気がついた。
遠くで中年らしい女性の声で「あったわよ〜、薔薇よ、薔薇。ローズよ〜。」との叫びが上がった。それをかわきりにしてか、少しずつ間をおいて同じようなことがあちこちで起きた。
中には男性が見つけた薔薇のチョコレートを恭しく同伴の女性に献じたり、またある場所では見つけた男性に多くの女性がおねだりをして周囲を羨望の空気に染めたりしていた。そんな、薔薇の香りに満たされた大人の空間の中で、生徒達はうかない表情をしていた。
茶色く髪を染めた女生徒の一人は「ねぇ、誰かみつけてよぉ。みつけて私にちょうだい。」と言っている。数人の男子生徒がそれを聞き、目を輝かせて発掘作業に再度熱を入れだした。
茶髪女子はまた同じ言葉をいった。それは、テーブルから離れて一人突っ立って俯いて静かにチョコレートを食べている背の高い男子に向かってのみ言っているように見えた。長身男子は俯いていた顔を上げ、優しくにこりと微笑んだ。
数人の茶髪女子が真似をして同じ様に「誰かみつけて私にちょうだい。」と言っている。中には薔薇のチョコレートではないチョコレートをプレゼントして冷たくあしらわれた男子もでてきた。
ゲームの時間があと僅かだと司会者が告げ、捜索中の男子達を煽り立てた。
指導教官が大声で、そろそろ集合しなさいと言っている。
そこへよく日焼けしたショートカットの女子がとぼとぼと俯いて歩いて戻ってきた。日焼け女子は長身男子の目を見た。長身男子は強く見返した。
そして長身男子は「ピーチのチョコレートならあるよ。誰かいらないかい。」と回りに聞こえるように言った。
茶髪女子達はみな残念そうにそっぽを向いた。
「ピーチだよ。」長身男子は一際強く言った。
「ピーチをちょうだい。」傍に寄った日焼け女子が言って、容器を長身男子の腰の辺りに差し出して蓋を少し開けた。長身男子はもう一度「ピーチだよ。」と念を推して指で一粒を摘まんで日焼け女子の容器に入れた。日焼け女子は黙って息を飲んで長身男子の目を見つめた。カクテルライトが日焼け女子の胸のプレートを真っ赤に照らし、また別のカクテルライトは長身男子の腰の容器を緑色に照らした。
二人は一瞬深く見つめあった後、少し離れて、またぞろぞろと歩きながら、会場を後にした。

私は繁華街に出てブラブラと歩きながら花屋の前で真っ赤な薔薇の花にふと目をとめて、迂闊にもその時になってあの時のあの二人の高校生の見つめ合った時の言葉にしなかった言葉に合点がいった。
私はあの二人の高校生が羨ましくまたいくぶん小憎らしかった。ずいぶんと知恵を使ったものだと感心した。また同時に、長身男子の思慮深さには拍手を贈りたい。

彼がこの先どんな女性とめぐり合おうとも今日の日の自分を忘れないでほしい。自分の周囲に、ピーチのチョコレートをちょうだいと言う女性をみつけて、そっと薔薇のチョコレートを渡してあげる男であり続けてほしい。
また日焼け女子にも同様に思う、将来、薔薇のチョコレートだよと言われて容器を出した後にピーチのチョコレートを渡されて悲しんだりしないでほしい。

私は一本の薔薇を買い、今夜のバーカウンターの隣に置いて飲むことにした。
少年の頃にみた夢を思い出していた。

鈴虫

category:エチュード

rps20120910_235441_368.jpg
ここに五十(歳)になろうとする男がいる。名を敏行といい、懐石料理屋の料理長をしている。
初秋のある日、酒を飲みながら献立に思案をしていたら鈴虫の鳴く声がして、手を休めて庭に出た。
草履をきちんと履いていなかったためか、暗い庭で庭石を踏んだ弾みで足をすべらせて転び、そのまま死んだ。

敏行が気づくと手足にささくれだった枷を掛けられ、縄で繋がれて曳かれているところであった。
見れば敏行の両側を、歩く腐乱死体が並んで行列していて、みな一様に敏行の方を怨みのこもった眼で睨んでいる。
どうしたことかと、縄を曳く者に後ろから声をかけて
「ここはいったい何処ですか。この者らは何者ですか。」と問うた。

縄を曳く主は立ち止まり、振り向き言った
「この者らはみなお前の料理を食べた者らじゃよ。お前はいつも金儲けばかりを考えて献立を立てておるじゃろ。また、儲けたその悪銭で生臭い行いに耽っておるじゃろ。お前を信じて食べたのに、お前の悪行が乗り移ってしまい、成仏出来ずに、こうして魂も腐りかけておるのじゃよ。」
敏行は恐くなり、ガタガタ震えて歩けなくなった。
綱を曳く者は
「これから閻魔様の元に行くお前に同行して、お前の悪行を全て暴き、地獄に送ってもらうように訴えるのだそうだ。」と続けて言った。
道は石ころだらけで敏行の裸足の裏からは血が流れていた。
しゃがみこみ、綱にすがって泣いて赦しを乞う敏行であったが、誰もが無言で睨み付けるだけであった。
その時、敏行の前でそれまで黙っていた一匹の鈴虫が
「心を入れ替えて、本当に心を伝える献立千種を立てて閻魔様に納めたいと言いなさい。そうすれば助かります。」と知恵を授けてくれた。

閻魔様は
「ほほう、そんなことができるならきちんとやり遂げて亡者達の霊魂を鎮めてやりなさい。」と言い、再びこの世へ送り返しなさった。
敏行の妻子や店の弟子達はみな大喜びした。
敏行は最初こそ、心を伝える献立千種を立てていたが、すぐに止めてしまい、また以前の敏行に戻っていった。
時は流れて、無意味なまま歳をとり、敏行は死んだ。そしてあの世で散々酷い目にあっているらしい。

私は今、初秋の深夜に酒を飲みながら庭を見ている。一人であるはずの周囲に、一人ではない何かを感じる。亡者か、鈴虫か。

まだ手足は自由ではある。

真冬のロザリオ 1

category:エチュード

rps20120826_121045_220.jpg
その日私は仕事で下関にいた。
業界の慣例となった行事に参加するために早朝に家を発ち広島で『のぞみ』に乗り、新下関で山陽本線に乗り換えて下関駅に着いた。広島駅までの間に乗っていたのも山陽本線であり、新下関駅から乗ったのもまた山陽本線であり、私は軽く不思議な感覚にとらわれた。
新下関駅のホームで『私が広島駅まで乗ったあの車両も数時間経てばこの駅のこのホームに、今目の前に滑り込んだ車両と同じ様に入って来るんだろうか?』と思った。
来るにきまっているとわかってはいながらも何故か私は東の広島方向が気になって目をやった。よく晴れてはいるのに空は青くはなく、寒々とした銀色をしていた。

行事の方は盛大に行われ、私も世間馴れしたひとかどの経営者のようにふるまい、そつなく立ち回っては道化を演じた。お開きになり、貸し切りバスにて下関駅に着いた。先輩諸氏に挨拶をし、真っ直ぐに帰るむねを伝えバスを降りた。東京の裕福な先輩などはこれから博多へ移動し数日逗留するらしい。そんな内容の話し声が響いていた。バス停の古びたベンチには一人の老婦人が座っていて、首から丸い珠のついたネックレスをかけていた。その先には銀色の飾りがついているのだろう、婦人はそれをきつく握りしめていた。私はそういうネックレスを何と呼ぶのであったかとふと頭をかすめ、またどこかで見たような思いに立ち止まりかけたが、それだけで通り過ぎ、駅のホームへと急いだ。
『のぞみ』に乗り込み缶ビールを一気に飲み干した私は知らぬ間に眠りに落ちていた。

昭和58年、私は高校3年生であった。ある4月末の土曜日の夜、私は呉市の昭和町に"ツレ"のトシと共にいた。
本通りから少しばかり入った名もない路地にあるラーメン屋『赤牛』が私達の行き付けだった。マスターは普段は無口で難しい顔をして商売しているが、夜の9時ともなればそうでもない。まず店に入れたての生ビールの機械に手を伸ばす。コックを引けばダラダラといくらでもジョッキに出てくるのが嬉しいそうだ。そしてその後はバクダンだ。ジョッキに焼酎を入れておいてその上に生ビールを注ぎ込む。
マスターは客から『チューやん』と呼ばれている。私もそう呼んでいる。本名からきたあだ名なのか焼酎からきたのかどちらにしろいいあだ名だとおもう。酔えば剽軽で面白く客の人気者だ。ただたまに入院するのが心配だ。身体もガリガリに痩せている。以前に、経営が思わしくないのだと、酔って常連客に愚痴っているのを聞いたことがある。チューやんはお父さんから受け継いだこの店が好きなのだろう。儲けや体裁より、何より『赤牛』を守っていきたいのだろう。
そんな『赤牛』の売り上げに貢献するためにその日も私とトシは"チャーシュー麺大盛り・ライス(大)"を黙って食べていた。お父さんから受け継いだ店を大切に思っているチューやんの思いに対する、私達二人のせめてもの小さな無言のエールだった。
私達二人は呉市のはずれにあるちょっとした進学校に通っていたが、その実勉強などはとうの昔に止めてしまい、学校のお荷物生徒になっていた。トシは兄のリュウと二人暮らしでこの街の生まれだった。学校では一応水泳部でインターハイを目指していた。今のトシにはそれだけで生きる目的にできていた。土曜日には屋内市民プールで自主トレして、晩ごはんを食べるために『赤牛』にくるのだった。
私はといえば、自衛隊の施設に設けられた柔道場へ週末は嫌々通っていて、稽古が終わったあとの空腹に絶え切れず毎度『赤牛』へ来てしまうのだった。
何度か顔を会わすうちに言葉を交わすようになって、もう半年くらいになっていた。

真冬のロザリオ 2

category:エチュード

rps20120826_162404_438.jpg
先に食べ終えたトシがふいにこっちを向いて言った
『オマエ何で柔道なんかしよるんや?、ぶちたいぎいじゃろ?』
『ん、んん、まぁたいぎいのぉ。』
私は小学3年生の頃から父の意向で道場へ通っていた。
ここ数ヵ月父親とはぎくしゃくした関係が続いており、しかももう2週間以上会ってもいない私は、どうにも避けたい話題だった。私にとって父親とのことを考える時、柔道は切り離しては考えられない経緯があったからであった。
腹を極限まで空かせた二人が夢中で食べ終えた頃には店内のお客は全て引け、店じまいの雰囲気が漂っていた。暖簾はしまわれ、私が入口のガラス戸に目をやると、その瞬間に表看板の灯がおとされた。ガラス越しに向かいのキャバレーの電飾が強く浮き上がり、いよいよ呉の夜が深まりつつあることを告げていた。
その時、ガシャンという音と共にガラス戸が強く開けられた。夜の帳とともに一人の若い男が顔を見せ、私達二人の方を一瞥し後を振り返って言った『おい、やっぱりここへおったで。』と。男をよく見れば頭が大きく、更に目を引くのは鶏冠の様に盛り上げ固めた髪型だった。グレイのジャージにピンクの細いラインが入っている。女物のつっかけを履いている。男はこっちに顔を戻し『おいお前、ちょっとこいや。』と言い顎をしゃくった。
私はこの男を知っていた。歳は同い年だが中学からロクに学校へも行かずに街を仲間とたむろしている不良グループの一人だった。私は勝手に"パーマデブ"と名付けていた。パーマデブとは街で二度喧嘩になり二度とも邪魔が入り"水入り"したままだった。このグループには私の小学校時代の同級生"ツカモト"も入っていたが使いっぱしりをさせられていた。このグループにははっきりしたアタマがいて"ナルミ"といった。ナルミはアマチュアボクシングの中国ブロックの大会において、非公式ながら行われた14才以下の部門において優勝しており、そのことは県下の不良グループなら知らぬ者のいないことであった。
私はマズイ所で出会ったと冴えない気持ちになった。稽古の後で体はぐったりしており、更には満腹状態である。私でなくとも萎えただろう。しかしまさか逃げるわけにもいかず、またトシの手前ビビッた態度も見せられず、覚悟をきめてカウンターの椅子をはなれた。内側の暖簾をくぐり表へ出るとそこには数人の若いチンピラがいて私を全員同時に睨みつけてきた。私は後ろ手でガラス戸を閉め、無事に帰れることはあっさり諦めて、学生服の釦を上から1つづつゆっくりとはずしていった。斜め向かいのキャバレー『ハワイ』の入口に呼び込みの男とホステスが立ちこっちを見ている。ホステスは指に挟んだ煙草を溝に弾いて飛ばし、煙を細く吐いて踵を返し入口から店内に消えた。
私は、すぐに警官がくるだろうからそれまでやるだけやってやればいいと思っていた。二人くらいは伸してやろうと、どいつが先かと目を走らせていた。やっぱり流れから考えればパーマデブかなと思い、やっと三度目にして黒白がつくのかと、どこか他人事のように意識の角で思っていた。
正面のパーマデブとその右隣の男が同時に動いた。"来るぞ!"と反射的に右足を少し引いた時、男達の壁が割れた。後ろから見覚えのある男が正面に出てきた。ナルミだ。
前に会った時より一回り大きくなっており髪をポマードでべったりとなでつけていた。裸に晒を巻いてその上に白い背広、スラックスは黒で雪駄履き。スラックスのポケットに両手を入れ顎をつきだしてにやけながら『おぅ、久しぶりじゃのぉマサ』と言うと同時にものすごいボディーブローをくり出してきた。
私は受けた。腹筋の中心にかつてない強い衝撃をもらった。しかし私はそれに耐えた。衝撃は感じたが、痛くはなく恐怖も感じなかった。
ナルミは『ほぉ〜』と短く呟き、捜しているのはトシの兄貴なんだと私に告げた。
トシの兄貴はリュウといい私達より三歳歳上でヤクザのチンピラだ。ナルミは私と同い年だが組うちではリュウよりエライらしい。ナルミによれば前日からリュウの姿がどこにも見えず、組事務所にも"出社"してきていないらしい。
私は喧嘩騒ぎにならなかったのを内心ホッとしながら赤牛に戻り、トシにナルミからの話を伝えた。トシはどこか、来るものがついに来たといったふうな表情で頷いた。そしてグラスをあおり溶けかけの氷を口に含み、ガリリと音を立てて噛んだ。そして『今日はここでサイナラじゃ』と言いナルミ達と夜の呉の街に呑まれていった。

真冬のロザリオ 3

category:エチュード

rps20120828_155120_856.jpg
7月になっていたが雨の日ばかりが続いていた。その日はトシと待ち合わせして本通りに面したゲームセンターで、何をするともなくただダラダラと時間を過ごしていた。他校の生徒や中学生らしき数人もいて、薄暗い店内はいつもと変わらず煙草の煙とゲームの機械音で澱んでいた。ふいにトシが
『出ようや。オレんちに行こっ。来いや。』と言った。『来いや、オレんちに。』と続けた。
雨が上がり久しぶりに射す日光に少し気後れした二人はゲームセンターを出て本通りを少し歩いて山側へ道を折れた。日光を背にして登っていくと商店はすぐに住宅になり、住宅街の奥で道はアスファルトからコンクリートになっていて、少し勾配がキツくなった。振り返るともう本通り付近の街並みは一望でき、屋根という屋根全てが暖かく照らされていた。
道にはガードレールが無くなり、脇の溝との高低さが開いたあたりに名もない植物が小さな枝を揺らせていた。左に曲がると道は再び平らになり、静まりかえった古びた教会の脇をぬけて空き地に出た。そこにトシとリュウの住む小さな小屋があった。
トシの部屋を訪れるのはずいぶんと久しぶりだったが私はその変わり様に直ぐに気がついた。台所は片づいていて、何より"掃除"がなされていた。台所の続きの部屋に入り、カーテンを開き明かりを入れた。トシは私とお揃いのウォークマンを取りだし、手製のアンプにジャックを差して一拍おいてトルグを弾いた。アンプの先はマランツのスピーカーに繋がっており、澄んだ強い音色を放った。
アル・ディメオラのアルバムのA面が終わったのを潮に私はあの夜のことを訊ねた。
トシはぽつりぽつりと4月の初めころからのことを話し始めた。トシとリュウの兄弟は両親を早くに亡くして二人きりの生活だったが、亡くなった母親のつながりでこの教会に隣接した小屋に住まわせてもらっていた。リュウは高校を卒業後、港の近くのスクラップ置き場で臨時日雇いとして働き夜は昭和町のキャバレー『ハワイ』の呼び込み兼雑用係りをしていた。どちらの職場も暴力団『児玉組』のものであり、つまりはリュウはヤクザでチンピラなのであった。リュウにも真っ当な夢というものがあったのだろうが、リュウ自身がその夢についてどれほど真剣だったのかは私には分からないことであった。
ある日リュウが女を連れて帰ってきたという。『ハワイ』のホステスだという。山口県から流れてきた女で名前をミサといいリュウより一才若い20才だった。3年前からこの街に住み母親と二人で暮らしていた。ミサの母親はホステスとして働きながら昼間には部屋で焼き鳥屋の串を打つ内職をしていた。昼は暗いアパートの部屋で鳥のモツをひたすら差し、夜も暗いキャバレーで派手な化粧をして働いた。その母親が事件を起こし刑務所に入ってから2年が過ぎていた。
リュウとミサは好きあうようになり、店や組には黙って一緒に暮らすことにしたのだという。兄弟二人だけの暮らしは一変し、部屋に花が咲いたように明るくなり、トシにとっては毎日が夢気分で過ぎた。ミサは『ハワイ』では一番の売れっ子であり、真昼の明かりの下ではその肌の白さは眩しくて、まるで磁器の人形のようだった。母親を知らないトシにとってミサは初めて知る母性であり人の温もりであった。
トシにとって初めての家族の幸せはそう長くは続かずリュウによって突然壊された。『ハワイ』の呼び込み仲間のガンさんの話だと、店にオシボリやマット等をリースで納品する会社の社長と組んで金をちょろまかしたらしい。実際より数字を膨らませてその分の差額を分けたのだ。それであの夜ナルミ達が捜していたのだ。リュウはそれきり帰っては来なかった。




真冬のロザリオ 4

category:エチュード

rps20120828_183629_906.jpg
そこまで聞いた時、隣の部屋に人の気配を感じた。それまで私は隣の部屋のことなど思いもよらないことで、しかしだからといって騒いでいたわけではなかった。
そんな私の変化に気づいたトシは静かに立ち上がって襖の前に行き『姉ちゃん、開けるよ。』と囁いた。
『マサ君が来とるんじゃろ?』
『うん。』
『これで何かこうてきんさい。』
『うん。』
私は何となく落ち着かない気持ちを抱えつつ黙って顔の前で右手を振った。トシは同じしぐさをミサにして見せ、私の"どうぞお気遣いなく。"の気持ちをうまく伝えてくれた。私が小声で、もうすぐ出勤かとトシに聞いたのだが、トシからも襖の向こうのミサからも返事は返ってはこなかった。
『トシ君。』と乾いた小さな声がした。襖の向こうにトシが消えて、ほどなく私を呼ぶトシの声がした。私は僅かに開いた襖を更に開け隣の部屋に一歩入り座った。
ミサがベッドに座っていた。白いパジャマに紺色のカーディガンを羽織ったミサは一回り痩せていて顔色はいつもにもまして白かった。雨垂れの名残りで濡れている窓ガラスを背にして、1つに束ねた長い髪を肩から胸のあたりに垂らせていた。弱く微笑んだ顔には少しだけ窓からの明かりが射し、首からさげたネックレスの先を優しく握っていた。
ネックレスはリュウがくれたもので、リュウの母親の持ち物であったらしかった。リュウがいなくなる前の日に首に掛けてくれたのだという。あれからミサは体が怠く、店にも出れなくなっているのだという。ベッドの脇に置いてある聖書に軽く手を乗せてミサは私に向かって
『トシ君と仲良くしてねっ。』と言った。
私はその後しばらく卒業後の進路についてとかいいアルバイトはないものかとかという自分の話題だけを軽薄にふりまき、ひとしきりしてトシの家を辞した。それがトシとミサを見た最後だった。
間もなく長かった梅雨が明けて夏休みになり、2学期になってトシが学校を辞めたと担任から報らされた。
夏休み中ずっと地元のスーパーマーケットでアルバイトに明け暮れていた私は呉市には行っておらず、担任から事情をそれとなく訊かれはしたが、むろん私に答えられることは何も無かった。

真冬のロザリオ 5

category:エチュード

rps20120828_194329_393.jpg
2学期は瞬く間に過ぎて冬休みも明けたある日、それは1月の終わり頃だった。
私は学校帰りの最寄りのバス停にいた。ベンチに座り、ふんぞり返り空を見上げていた。
その横にどっかりと座ってくる男がいた、ナルミだった。
話は自然にこれからのお互いの進路についてに及び、ナルミはヤクザで出世するんだと意気込み、衿のバッジを見せた。よくよく見れば上下揃いの銀色のシルクのスーツを着込んでおり靴も高級そうだった。
私は東京に行き、自分に合いそうな仕事を探すつもりだと告げた。今日が最後の登校日だと言うとナルミはセカンドバッグから葉巻を取り出して私に手渡した。東京へ行っても喧嘩では負けるなよと言って、葉巻に火をつけてくれた。
私はふいに胸にわいた思いをナルミに確めずにはいられなかった。トシのことであった。ナルミは深く葉巻を吸い込み、やがてゆっくりと吐きながら語ってくれた。

あの赤牛での夜の後すぐにナルミとナルミの手下達でリュウを捕まえたらしい。その功績でナルミはバッジをもらったらしいが、その後のリュウのことは知らないと言った。
ただこうも言った、トシは11月に入ってすぐに自殺したと。一緒に女性の遺体もあったと。
ナルミは言った‥自分達が組から言われて行った時にはもう部屋中は教会の関係者によって片付けられていたと。ナルミの親しい刑事からの情報だと女は妊娠していたと。
リュウの帰りを信じて待ちながら、トシの子供を妊娠したミサ。
そしてミサの母親の事件についても話してくれた。
母親の情夫がミサに言い寄ったのが発端で何度目かの喧嘩の折り、酔っぱらって帰って来た男を待ち伏せて刺し殺したらしい。
私には分からなくなった。
ミサは、母親を待ちリュウを待ち、祈りながら毎日を過ごしていたのではなかったのか。少なくともあの日私にはそう思えた。
トシもまた同じではなかったか、兄を待ち、兄を待つ姉の病が治るのを待っていたのではなかったのか。
ここに至って私にはふとある思いが頭をかすめた。あの雨上がりの日、トシは私に何かを打ち明けたかったのではなかったのかと。
誰も居なくなった部屋には聖書とロザリオだけが残ったのだという。
それらは教会に預けられ、ミサの母親がもし訪れればその時渡されるだろうということらしい。
バスが遠くに見えた。ナルミが
『これで最後じゃのお。』と真っ直ぐを向いて言い、私も真っ直ぐ向いて
『うん、最後じゃの、これで。』と言った。バスに乗り込んで外を見たが、もうナルミの姿は無かった。

真冬のロザリオ 6

category:エチュード

rps20120827_101011_233.jpg
私は目を覚ました。緩かに減速する『のぞみ』の車体から伝わる微かな揺れを感じたのだろう。アナウンスが静かに流れ、銀色に冷たくたれ込めた空の下、広島の市街地へと窓の景色が変わっていく。私はいつも二人掛けのシートの通路側にすわる。窓側のシートに手をついて軽く身を乗りだし空を見上げた時、仄かに温もりを感じた。誰かが座っていただろうか、記憶がはっきりとしなかった。親しい誰かが居たような錯覚めいた曖昧な感覚にとらわれながら自分のシートに座り直して前を向いた。まだ夢から完全には覚めきってはいない私の頭に、古い、けれども忘れられない銀色の輝きをどこかで見たような、思い出せないもどかしさが滲んだ。

鳴り響くベルのなかホームに降り立った私は歩を速め、人混みを分けて歩きはじめた。
もう夢のことなど忘れていた。

鳳仙花 1

category:エチュード

rps20120825_173249_729.jpg
真夏、ぼおっとしながら蝉の鳴き声を聞くと何度となく引き戻される記憶がある。
学童の頃私は『マサくん』と呼ばれ、更に言えば小学校入学以前は『マコちゃん』だった。おそらく小さなマサだからだろう。
一年生の頃は歳上の子供達の子分であり、毎日鞄持ちをさせられて帰る日々のみ思い出される。私は福山の山奥の小さな農村に生まれた。理由は分からぬが、おそらく単なる偶然だろうが近い年齢層は女子ばかりだった。鞄持ちの際の記憶には赤いランドセルばかりの記憶がある。

二年生のある日、それは夏休み直前のよく晴れた、それは今思い返しても驚くほど蒼い、そんな日だった。
放課後、室内シューズからズックに履き替え勢いよく校庭に飛び出そうとした私の目に嫌なものが映った。校門の脇にある鉄棒に近所の女子上級生達が思い思いに凭れているのをみつけた。校門を抜けるには鉄棒脇を通らなければならないし、さりとて見つかれば鞄持ちの格好の餌食にされるのは分かりきったことであり、私は、少年のマサくんは迷った。まだ"ひなた"に出ない屋内に止まり立ち尽くした。
そのまま立ち尽くした私の横を次々と生徒達は勢いよく飛び出していき、その頭上を燕が行き交いした。深く青い空を強く飛ぶ燕は石のように固く見えて、なんだか好きになれない思いにとらわれた。
見ると鞄持ちグループの姿は既になかった。私は帽子を被り直して足を踏み出した。乾いた黄土色の校庭の砂を爪先で軽く蹴りながら俯いて歩く私の視界に後ろから光るものが近づいてきた。右に視線を移すとそれはエナメルの白い靴で白い靴下も見えた。さらに視線を上げて顔を見れば、私の目線の辺りにえくぼがあり、更に上には私を見る深い黒い色をした大きな目があった。
黙って少し追い越した少女はピカピカ光るまるで新品のような真っ赤なランドセルをし、その上に束ねた長い髪を揺らしていた。
その少女は同じ組の子であったが、私は言葉を交わしたことはなかった。
私の通う小学校は二つの保育所から入学して一つの学級になる。南北に縦長な村のちょうど真ん中に小学校があることになる。私の通った保育所は北側で18人しかいなかったが、前述のとおり女子ばかり多く男子は3人だけだった。
その少女は南側の保育所とばかり思っていたが、二年生になってすぐにそうではないと分かった。自分の組には南北保育所の卒園生ではない子が二人いることも知った。少女はその一人だった。
少女には登下校の相手はなく、教室でも独りだった。
同級生が言っていた、お母さんに『あの子と遊んじゃぁいけんよ』と言われたと。

私は少女のランドセルの上で揺れる髪を見つめていたが、ふいに少女が振り返った。私は驚いて、じっと見ていたことを覚られまいとして目をそらし俯いた。
空からは燕は消え蝉の鳴き声だけが校庭を一瞬支配した。俯いた私からは少女のひざまでしか見えず、喉に渇きを覚えた。その時、
『マサくん、カブトムシは好きじゃろ?』と少女は言った。
『好きじゃろ?、カブトムシよ。』
『おお。』と応えた。

それがワタナベさんとの初めての会話だった。